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ねるねるねるね

主食はNEWS 間食が多い掛け持ち。

思ったことをちょっと吐き出します。

ジャニーズの話 雑記

 

昨日「よいお年を!」と締めくくったというのに。やっぱりどこか気持ちの捌け口が欲しくてログインしちゃった。無理に言葉にする必要はないかなとか思ってたけど、このやり場のない気持ちをちょっと一回吐き出したいなという気持ちのほうが強い。すまっぷのことです。

 

 

言いたいだけのことを、まとまりなく、吐き出したいがままに吐き出しています。

 

 

 

 だって悲しいんだもん。SMAPを好きだと思う気持ちはずっと続いているし途絶えることなんてないのに。来年からSMAPの活動が、記録が、軌跡が更新されないなんて、悲しい以外にない。私はSMAPが解散だなんて言われても未だに納得できないし、この一年の間に何度かその言葉の意味を、一応考えたけど理解できることもなかった。だから受け入れられない。往生際悪いって言われても構わない。けれど、来年から、新しいSMAPが更新されないと言われているのがくるしい。かなしい。

 

 私が物心付いた時には、自分のペースを大切にしながらSMAPを応援する母の影響があって、家の中や移動中の車内で流れていた曲はだいたいSMAPの曲だったし、リビングで流れるテレビ番組の優先順位が高かったのはSMAPのメンバーが出演しているかどうかに委ねられていたし、毎週月曜日になるとスマスマを見ていた。そんな日常と環境が当たり前だと思っていたから疑問を抱くことなんてなかったし、私もSMAPを好きになった。中でも、くさなぎくんは私にとっての初恋の人で、「SMAPの中で特に誰が好きなの」と聞かれたらずっとくさなぎくんの名前を挙げている。ジャニオタという呼称が自分にとってしっくりくるようになってからは、くさなぎくんに対して便宜上「担当」という言葉を使うこともあるけれど、「ずっと好きな人」と挙げるほうが肌に馴染んでいる。他のメンバーだって同じだよ。私にとっては全員が「ずっと好きな人」で、私にとって、私の家族にとっての、かけがえのないスーパースター。

 

 昨晩のスマスマを母と見ている時に「私の子育てはスマスマと共にあったんだなぁ」と言っていた。「こういう風に昔の映像を見ると、あの時のあかねはどうだったとか、いろんなことを、一緒に思い出せるね」と。毎週当たり前のように見ていた番組の総集編は、番組にとって、SMAPにとってのアルバムだったし、母のアルバムでもあった。もちろん私にとっても。きっとそういう人たちがたくさんいる。皆それぞれに想い出がある。くるしい。こんなにも素敵な番組が、5人が一緒にいる番組が終わってしまうのがかなしい。昨晩の放送を見る前に絶対に泣かないぞと決めたのに、見始めてすぐに箱ティッシュを抱えて泣いていた。時折挟まれる「最後」だとか「おつかれさまでした」だとか。そんな言葉ばかりが酷く強調されて聞こえてくることが一番つらかった。そもそも、まだ終わってもいないのにさぁ。「ありがとう」とか「大好き」とかは、少し胸がチクリとはしたけれど、愛に溢れた言葉には全力で相槌を打っていた。振り返る番組はどれも見覚えのあるものばかりで、ただただ懐かしくていとおしかった。そんな状態が続くから番組が終わってからも涙が止まらなくて、お陰様で今とても目が痛いし鼻もひりひりする。

 

 そういえば、くさなぎくんの不祥事のときに色んな人から心のない言葉を向けられた当時のことを昨日のスマスマを見て思い出した。幸いその頃は私自身がネット界隈の知識に乏しい時期で、SNSをしていなかったし、某掲示板の存在すらも知らなかった。そういうコンテンツの普及自体がそんなにしていなかったはずだから、ある意味で時代に守られていたと思う。心ない人はいたけど、それでも私の周りに敵は少なかった気がする。それに、私は吾郎ちゃんの件を幼いながらに見ていたし、SMAPがメンバーの居場所を守ってくれる人たちだと知っている。くさなぎくんが深く反省していることも、励ましの声にも厳しい言葉にも真摯に向き合う人だと知っている。だから心ない人たちから何を言われても「勝手に言ってろ~~~!!」と強く跳ね除けていた。くさなぎくんのいないSMAPは見ていてとても寂しかったけれど、泣きはしなかった。だって中居くんが、木村さんが、吾郎ちゃんが、慎吾くんが、くさなぎくんを守ってくれているの知っている。SMAPという居場所が5人を守ってくれているの分かってる。戻ってきた時は本当に嬉しかったし安心した。そんなことを感じていたなと、久しぶりに思い出した。

 

 でも今は違う。私はSNS漬けの日々を過ごしていて、時々某掲示板のまとめサイトを見たりもする。そこには読む人が傷つくような内容の意見だって氾濫しているし、「嫌だから見ません」の自己防衛が通用しない場面も多くなった。心ない言葉を発する人だって変わらずにいるし。あの時と比べて、敵は明らかに多くなった。核心に触れた言葉をメンバーの口から聞けないから、ラジオで流す選曲や、会話の中で何気なく発する言葉や、視線や仕草、毎週5人が揃うスマスマの雰囲気の中から信じたいものを見出すしかなかった。結局のところ、それも推測でしかないけれど。

 

 それでも「ずっと好きだから」という感情があれば、今まで見てきたSMAPを思い出せば、見出したものは私にとっては真実だった。とりあえず、巷で言われる不仲なんてことはありえないと信じている。ただ、その信じたいと思う推測さえ、言葉にして発信すれば傷をつけられることが増えた。くさなぎくんの時は、4人がくさなぎくんを守ってくれた。くさなぎくんを、4人を、SMAPという居場所が守ってくれていたから大丈夫なように思えた。じゃあ、今回は。SMAPという居場所そのものがなくなった時、何が心の支えになるんだろうか。目先にはメンバーそれぞれ個人のお仕事があるにしても、さらに先のことなんて不透明で分からないから怖い。もちろん個人のお仕事も可能な限り応援していくけれど。・・・それでも、この一年間考えないようにしてきた不安がとめどなくあふれてくる。それを突き詰めると恐怖でしかない。この先5人で集まってくれることはあるのだろうか、とか、この先5人はアイドルとしてステージの上で踊り、歌ってくれることあるのだろうかとか。・・・これ以上続けて書き起こすのはやめておく。そういうこと書きたいんじゃないし。ほんともう、やだなぁ。文字に起こすとくるしさがむき出しになる。

 

 この先、何か大きな力に阻まれてSMAPの名前そのものが出せなくなる、なんてことがありませんように。SMAPの残してきたものがなかったことにされませんように。

5人がSMAPとして過ごした時間は後先関係なく誇りに思っていてほしい。何年先の未来でも誰も越えられないスーパースターであり続けて欲しい。何年先でも「素敵な曲だよね」と言われる作品の中に、SMAPの曲があり続けてほしいし、「あの番組面白かったよね」と評価されるものの中に、スマスマをはじめとするバラエティも、メンバーが出演していたドラマも残っていてほしい。というか曲は本当に素敵な曲が多いから、解散どうこうという問題ではなく、ただただ歌い継がれてほしい。そりゃ、SMAPに歌ってもらうのが一番いいんだけどさぁ。しばらくそれが難しいなら、せめて曲は。何らかの形で生かされていて欲しいなぁ。

 ・・・なんだかこう、ほしいほしいばっかり書くと解散という言葉を真に受けたような感じになってすごく嫌だ。と、思うのは流石に考えすぎなのだろうか。もうぐっちゃぐちゃだ。今は、SMAPという居場所に5人が揃って帰ってくる未来を待つと決めた自分と、目先のむなしさや悲しさに打ちひしがれる自分とが、混ざっていて気持ち悪いなぁ、もう。そう簡単に気持ちの整理なんて出来ないからこうして支離滅裂に吐露しているのだけど。

 

 

 私にとって、SMAPはいつまでも大好きな人たちでグループだし、この解散とされる状況がサヨナラじゃないと信じているし、そうだと願っている。吐き出したくなるような不安な気持ちだってあるけど、SMAPを好きだという揺るぎない気持ちが、今まで以上にこの先の心の支えになればいい。

 

 

でも今はやっぱりまだ苦しいし悲しいや。 DVDが届くのは楽しみ。